「赤穂義士遺跡」としての、「吉良邸跡」になっちゃってる・・・ ここが残されたのは、町の人々の努力あってのことだったんですね。 ここから入るのですが、少し見えているのは・・ ・・この稲荷様の台座と幣です。 吉良殿の若かりし日には、治水などの業績もあったようです。 そんなに悪い人だったわけではないと思うのですよね。 でも、年齢を経て、地位と富と権勢を得て、少し慢心が出たようなところがあったのかもしれません。 そういう時に、まだ若くて短気を抑えられない赤穂の殿様とソリが合わなくて、ああいうことになったのでしょうか。 そして、無残な結末となり・・ 双方の家臣の犠牲も大きく・・ しかし、家臣の祀られたこの祠(ほこら)にも、今も尚、花を手向ける人は絶えないのですね。 名誉と命をかけて、仇討ちせねばならなかった人々。 今はただ、遺恨は残らず、残さず。 ベンチの用意された市民の憩いの一角として、屋敷の一隅が残り・・・ 現代に至るまで考えさせられる、様々な教訓が、残った、残った。 ※長々とおつきあい、ありがとうございました。 それにしても、辿り着けて良かった。 西日本の出身なので、「赤穂贔屓」だと、吉良様にキラわれテイるのかと心配でしたが。 今度は、泉岳寺にも行ってこなくちゃなぁ。。。 (2007/05/27)
by C-Nemo
| 2007-06-03 19:58
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